Diary - 制作日記

★17:IGDA SIG-Indie8 ジャパニーズ・ゲーム・エクスペリエンス メモ2011/01/23 (日)  01:41

こんばんは。
またも徹夜続きな毎日で、制作が進んでいませんが、
今回はIGDA SIG-INDIE8「ジャパニーズ・ゲーム・エクスペリエンス – 日本のゲーム文法が作るゲーム体験の未来 -」に行ってきました。

とりあえず、以下に自分が取ったメモのまとめを書きます。

今回は話題がなかなか難しく、メモだけでは正直何言ってるんだ状態ですが、一応掲載。

何時ものお約束ですが、ここに書く事はあくまでも私なりの解釈・メモであり、
発表者の真意とのずれのある可能性がある事に注意してください。

因みにTwitterハッシュタグは#sigindie8らしいです。


<テーマ>

  • ポストモーテム(事後検証)
    開発過程の具体的分析、今後の活動に活かす為の検証。
  • 新たな遊びの構築により、形式化された遊びを用いた
    新たな「ゲーム体験」の提供が重視されているのでは?

■第1部 <美学的に捉える同人ゲーム>

「東方Projectにみる弾幕演出とゲームプレイ」

・Style=様式、文体…

・素材や技術から一歩離れた視点で工芸や芸術を見る。

・スタイルの周期性
→時代に伴い下地も変わってくる。スタイルの移り変わりがある。

・同じモチーフを書いても、スタイルによっては印象も違う。

・視覚のみでなく、経験も評価する。ユーザビリティの評価も必要である。
→ユーザビリティ:ユーザーインタフェースの「最適解」

・弾幕STGのスタイル
 弾の行動とプレイヤー行動のマッチング(視覚性とユーザビリティのマッチング)
→弾幕でプレイヤーの行動を制限

・「ゲーム性」と世界観
 最適なゲームエクスペリエンスは果たしてゲーム性が高いのか?
ゲームシステムに最小限のグラフィックがあるだけでも世界観は創出する。
東方のスペルカードはゲーム記号を排除し、世界観を強調している。
(敵をショットで倒す事だけではなく、敵のスペルカード弾幕を回避するという目的を提示。)
→世界観とプレイ経験のマッチング。

東方には世界観における空所が多くある。
・二次創作の余地
・さらなる積極的意義
・有用性の排除
→最適化されていないからこそ、スタイルの「恐竜的進化」をキャンセルしている。
プレイヤーを殺す「殺し弾」ならば、最適化すれば全画面が当たり判定の極太レーザーを放てばよい。

・ユーザービリティの強調
→こうすればOK、では無く、どこで避けれか?という「演劇性」が生まれる。

・本編を出すまでにダブルスポイラーなどの世界観を強調した作品を出す事で、進化のサイクルを制限。
→技術的な条件とは独立に、「世界観」によってスタイルを刷新している。

・ゲーム性だけでなく、世界観を兼ねる事でスタイルの周期を伸ばしている。
 世界観に空所があるからこそ、プレイヤーの積極的な二次創作の余地がある。
 ユーザビリティの徹底した最適化が成されることがゲーム性と言えるのか?


■第2部<冬コミタイトル メイキング>

「同人ノベルゲームの多言語化対応の開発よ海外頒布を振り返る」

・多言語化ゲーム。日本語・英語・スペイン語(!)
 日本語・英語はボイス入り。英語ボイスはネイティブの方を起用している。
 海外のスタッフとの共同製作。

・書いたシナリオを効率よくゲームにする為、自動化できる部分を上手く使用する。
→テキストシナリオをXMLでスクリプト変換・演出を統一化したり、
 翻訳用のEXCELファイル、Dropboxによるデータ共有…など。

・デメリットとしては、煩雑になりがちであり、独自のルールが多い事。
 トライアンドエラー工数の増加。

・問題:アイディアとゲーム制作のタイミングが合わない。
 アイディアが湧き出る速さとゲーム制作の速度が合わない。
 「眼高手低」。

・外国と国内の頒布
 海外での作品頒布。アメリカの即売会はコンベンションに近いらしく、
 パッケージを三次元(リアルコスプレ)にする事で受けた!
 タイの即売会は日本の即売会に近いらしい。パッケージは二次元のものにした。

・海外でもノベル・ADVをプレイしたい人は多くいるが、プレイしたくてもものが無い。
→オンライン頒布が一般的?

・意外にも女性の割合が多い。

・乙女、BLゲームをやりたい人は多くても、無いので自分たちで作るしかない…!

・ツール・環境が進歩し、海外の人との共同製作は十分可能。
 コミュニケーションを多く取る事もモチベーションを高める意味で重要。
 LCCが増え、低賃金で手軽に海外に行く事も可能である。

「短編ノベルゲーム制作の諸アイディアと改善案」

・絵コンテを先導させた製作。
 リアル趣向な作品づくり。

・モニュメンタリー(ドキュメンタリー風視点のフィクション)形式で、主人公を画面上に出したい。
(ドキュメンタリー視点だと、主人公の一人称で語られるため画面上に出てこれないジレンマがある。)
→アンドロイドのキャラクターをカメラ役とし、プレイヤー視点はこのキャラクターの一人称とした。

・色に工夫。最初はモノクロの世界。第二部でフルカラー…と驚きの配慮。

・地味になりがちなので、演劇的にキャラクターのリアクションを大きくした。
→モデルを起用し、写真を何百枚も撮り、立ち絵を作成。

・立ち絵製作の手法
①写真を選ぶ。
②写真をシアン色のみにする。
③印刷する。
④その上からペン入れを行う。(ポーズをトレース)
⑤スキャンし、シアン色を飛ばす。
⑥線画を作成。
⑦色付け。

「スキルアップとしての同人サークル活動」

・製作メンバーが一つ屋根の下で暮らす通称「BLハウス」w

・各々のやる事は分かっていても、なかなかまとまらない。
→管理が大切。


■第3部<商業開発が直面するジレンマ>

「玩具ゲームの先へ・日本ゲームの呪いを解く」

・日本ゲームの呪い
 ゲームは遊びの新規性こそ重要。これは当然であり、ゲーム制作の必勝法。
→それらの成功体験が、日本のゲームを縛り付けている。

・スペックや最新技術に頼らなくても良いものは作れるが、その逆もまた真実。

・洋ゲーはベースが同じであるが、飽きない。
→それぞれが面白い。洋ゲーの肝は新奇性にある?
→「体験」が新奇性なのではないか。
 同じテーマなのに、織りなすドラマが違う。プレイヤーに体験の新奇性を与えている。
→同じような操作だが、プレイヤーが一つの遊びを覚える事で他の体験にすぐに没入可能。

・スペックがもたらすゲームの可能性。
 表現力が「体験」と呼べるレベルに来つつある。

・「どんな体験が軸か?」を考えると、AIや自動生成にこだわる。
 (おそらく、新しい状況を生み出すものとして挙げている。)
→これは日本の古いゲームでは考えられない。

・洋ゲーは「枯れたゲーム性の水平思考」。

・日本は枯れた技術を応用し新しい遊びを作ろうとする。
→洋ゲーは逆。ほぼ同じシステムを使用し、新たな体験を提供している。

・しかしながら、ゲームは多様である必要。両立すべき。

・JRPGはアドベンチャーに近い。体験型ゲームではない。
 操作におけるインタラクトが得られなければ体験とは言えない?
 JRPGなどは客観的体験、「追体験」に近い。
 (決まった物語を進行し、能動的に状況を変化させインタラクトを得るという意味で無いことからであると思われる。)

「急速に規模が縮小するアーケードゲーム市場に未来はあるのか?-アーケードゲームの問題点と将来を考える-」

・ゲームセンターはどんどん数を減らしている。何故か?
-オペレータ目線
 1プレイの単価が下がるデフレ化

-ユーザー目線
 遊びたいがやりたいものがない。
 料金が高い。
 コンシューマに移植されるのでそれを待っている。

-メーカー目線
 研究開発費の回収が難しい。

・消費者の動向
-プライズ売上が2/3を占めている。
-ビデオゲームは18.0%程度。
-ゲームセンターに行くのは、家族連れが圧倒的に多く、一人は7.5%。
-ゲーマーだけが客では無い事実。
-クレーンゲームやメダルゲームがメイン。
-音ゲーは11%程度。格ゲーは6.7%程度しかない!

・ゲームセンターのゲーム機筐体は単価が高く、バージョンアップの頻出で投資が困難。
→一式数千万の筐体もあり、個人経営ではどうしようもない。

・ネットに接続する筐体では、月額でメーカーに支払う必要がある。
→コストが発生する為、シフト削減を余儀なくされたり…とサービスの低下に繋がる。

・プレイ単価の上昇
→50, 100円で遊べるお手軽感が無い。

・家庭用ゲームのスペック向上により、スペックを売りとした方法が通用しない。
(昔はゲームセンターのゲームはハードウェア的なレベルが高かった。)

・消費税率アップにおける対策がまだ十分でない。

・シフト減における保安リスク。

「いわゆるマジコンを巡る法的議論の現状」

(情報量が多く、聞くのが精いっぱいであまりメモしてませんでした。すみません…。)


■第4部<ディスカッション>

・ユーザーに提供するゲーム体験の方向性。

・新しい遊びを作るより、既に使い倒されたシステム(エンジン)を使う代わりに、
 ユーザーに新しくリッチな体験を感じさせることに焦点が移行?

・ユーザーの求める体験とは?
 (ゲームセンターのゲームにおいて)
 気軽に楽しめるもののブームは今に始まった話ではない。
 ゲーム的体験を求めてきている訳では無く、コミュニティとしての体験を求めている。
 格ゲーやトレカを使うものでは、どうしてもお金がかかってしまうネック。

・FPS→必ずしも体験型のゲームでは無く、ゲーム性が体験の呼び水になっている。

・ADVでは完全に世界に没入する事ができない?(客観的な体験という意味か?)

・バイオハザードでは、ホラーを体験させたいからゾンビが出てきた時に一回攻撃されてしまうような
 耐久設計にしている。ゲーム的にはやられる前にやっつけられるのが正しいが、世界観(体験)の為には、
 一回攻撃されるのは正しい。

・勝ち負けのゲームから、状況を楽しむゲームへ。
 システムはその為の手段である。


…かなり量が多いですが、こんな感じでした。

私的な考察はTwitter上にいくつか流したので興味がある方はそちらを参照して下さい。

ちょっと頭痛が結構来ているので、省かせてください(;´Д`)

今回はテーマが広く、非常に抽象的な部分が多かったですが、
日本、海外のゲームの特徴が少しでも見えた気がします。

特に開発におけるゲームのビジョンの差がある事が分かります。

また、ゲームの面白さの本質の部分がもはやゲーム性だけでは語れないものとなっているという事も認知されてきたのではないでしょうか。

日本、外国問わず、面白さを解体していくことで我々は何を得られるのか。
自分自身もゲーム制作を通して、私なりに面白さを解体し、解釈していきたいところです。

さて、色々やらねばならぬ課題がまだまだ積み重なっていますが、
ハートキャッチプリキュアを見る為にも寝なければ!(笑)

寝るっしゅ!

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